2017年10月16日月曜日

3ヶ月に1度の血液検査とティータイム

 完全予約制ですから、それほど待たされることもないのですが、今日は、僕の前に5組ほどいました。皆さん年配の方々で、家族が付き添っています。どの方も10分くらいかかるので、結局1時間くらい待つことになりました。文庫本も持ってたんですけど、何となく読む気になれなくって、ぼけーっと過ごしていました。
 僕はと云うと、検査結果の紙を一枚もらうだけなんで、1分もかからずお終いです。でも、早く済むと云うことは、深刻な状況では無いということですから、有り難いことです。

 血液検査から、診察までの待ち時間、久しぶりに最上階のレストランに行きました。ケーキセットで優雅なひとときを過ごさせていただきました。
 レストランへの足が遠のいていたのは理由がありました。抗がん剤治療を受け始めていた頃までは、病院に行くと必ずってくらい、レストラン(といっても注文するのは、オムライスとかですけど)で昼飯を食べていました。ところが、3回目くらいの治療の頃から、レストランに行くことと、抗がん剤で気分が悪くなることがリンクしてしまったんです。レストランのことを思い浮かべるだけで、気分が悪くなるようになってしまいました。それからというもの、抗がん剤の点滴を受ける前の昼食は、ミニストップのおにぎりを食べるようになりました。不思議なもので、濃いめの味付けをしたおにぎりなら大丈夫だったんです。
 抗がん剤治療が終わってからも、レストランに行く気にはなれなくって、同じ最上階にある喫茶室で時間を潰すことが多くなりました。

 今回は、血液検査が3時からで、診察が4時からだったので、喫茶室は閉店していました。そんな時は、ミニストップでコーヒーを買ってラウンジに行くことが多かったんですけど、久しぶりにレストランに行こうかなって気分になったんですよね。で、行ってしまえば何てことは無くって、普通に過ごせました。これで、トラウマを1つ克服したってことでしょうかw
 
 次回は、内視鏡検査です。検査が終わったら、ここで何を食べましょうか。

2017年9月9日土曜日

五十肩だったのかもしれない。

 以前から違和感はあったんですけど、ついに五十肩になってしまいました。左腕が痛くって上がりません。

 五十肩。
 
 昔は四十肩と言われることが多かったように思います。最近は、50代になってから発症する人が多くなっているようで、五十肩という言い方の方が一般的になってきました。生活が改善されて、老化が遅くなっているのでしょうか。このままだと、六十肩なんていう時代も来るように思いますが、60代になってから、痛みが出てくるようだと、完全に他の病気を疑うべきだそうです。

 それから、僕は、左利きで、左肩が痛くなりましたけど、必ずしも利き腕がなるというものでもないそうです。片方ずつ、時間差でなることはあっても、両肩が同時になることは無いとも云われています。

 四十肩の記述は、江戸時代の書物にも出てくるそうで、極めて一般的な症状の1つですが、にもかかわらず、発症の詳しい原因などは、分からないことも多いようです。
 正確に云うと、原因が分かっているものは、正式な病名が付きますので、五十肩とは、よく分からないけど具合が悪いと云う時の「風邪」みたいなもの、ということになります。
 外国語には、これに相当する言葉は無いそうで、年をとれば肩が痛くなるのは当たり前。「肩が痛い」だけのことを、言い表す言葉など必要だとは思わなかったのでしょう。

 広く言われていることは、「そのうち治る」ってことですね。整体に行ったりした結果、かえってこじらせてしまったなんて云う話もよく聞きます。
 しかし、「ほっとけば良い」なんて気軽に言われているにしては、かなり辛いです。

 一番つらいのは、横になって寝ているときです。枕を使うと、角度的に悪いみたいで、痛くてたまりません。市販の痛み止めを飲んだりしましたけど、寝不足な晩が続きました。
 痛いほうの肩を上にして横向きに寝転がると若干楽になりましたが、下になった反対側の腕がシビれてくるという危険があります。
 変な話ですけど、おトイレに行ったとき(特に大きい方)困ります。まあ、反対の手で用事をすれば良いだけの話なんですけど、長年使い慣れた左を使えないというのは、結構なストレスになります。

 初音ミクのライブでは、昼の公演に備えて、11時頃に、調剤薬局で直接買ってきたロキソニンを飲みました。それから、夕の公演の前、16時頃にもう1回飲みましたよ。
 そういえば、昨年3月の名古屋ライブは、抗がん剤の服用中でした。「初音ミクのライブにここまで懸けている俺って格好いい!」って、こういうのは「厨二病」ですね。

 ところが、
 
 こんな記事を書いている間に、いつの間にか治ってしまいました。

 随分呆気ないように思います。腕も今まで通り上げることができますし、これって、ただの筋肉痛だったんでしょうか。五十肩は同じ側には再発しないと云われていますから、これで、もし再発したら、ただの筋肉痛でお騒がせだったということになります。

 まあ、よく分からないから五十肩なんですよね。便利な言葉です。周りの人に説明するのも簡単だったし。詳しい原因も分からなければ、根本的な治療法も無いというのも、こういうことだったのでしょう。

2017年8月21日月曜日

視力検査の不思議 ~中近両用眼鏡で視力1.2をゲットしたこと~

 毎年行っている人間ドックです。けっこう大きな病院です。ここだけの話、近所での評判はイマイチです。でも、診察や入院するわけじゃないし、近いし、安いし、空いているんで毎年お願いしています。
 2年前の今頃、ここの病院で大腸に異常を見つけてもらって、癌とのお付き合いが始まりました。精密検査を勧められたんですけど、別の病院に行ったので、裏切ったみたいになっちゃって「ちょっとわるかったかなあ」とは、思ってます。

  人間ドックといえば、一番の難関は胃カメラです。僕は喉の奥が敏感な方なので、何回やっても上手になりません。
 それから、エコーでお腹の中を見てもらったりもします。すると、「脂肪肝ですから気をつけてください」とか「ちょっとポリープありますけど、まあ大丈夫でしょう」とか「少し肥大しているようですから、様子を見ましょう」とかイエローカードの連発です。

 で、検査項目の中に、視力検査があります。僕は、子どもの頃からの近視で、裸眼だと0.1くらいです。ホントは0.1も良く見えないんですけど、あとが面倒なので、見えたことにしてしまいます。
 人間ドックは、ちょいちょい待ち時間がありますから、いつも文庫本を持っていきます。この日は中近両用眼鏡をかけていました。遠近両用と違って車の運転は厳しいんですけど、ちょうど1m位のところにピントがバッチリ合うんで、パソコンをやったり本を読んだりするにはちょうど良い眼鏡です。
 それをかけて視力を測ったら、すごく良く見えるんですよ。1.2なんて余裕です。でもおかしいですよね。この眼鏡は中近両用なんで、3mくらい離れるとボケちゃうんですよ。

                             
 視力検査は、5m離れたところで約1.5mmの切れ目を見分けられれば、1.0となります。もし3mmしか見分けられなければ0.5だそうです。
 ところが、ここの視力測定器は、のぞき込むタイプなんで、測定版は目から50cmくらい先にあります。その分、ランドルト環は小さくなっているのでしょうけど、ちょうどこの眼鏡でピントがばっちり合う距離ですから、どんな小さい字でも読めます。
 視力検査って、遠くの物は小さく見えるから、小さい物が見えるのと遠くが見えるのは同じということでしょうけど、矯正視力の場合は、その理屈が通用しないのかなって思ったんです。
 僕の眼鏡は1mくらいのところにピントが合ってますから、1m先の物はどんなに小さくても見えますけど、5m離れると大きな物でもボケてしまいます。それで、視力1.2ってことで良いんでしょうか。

 でも、矯正視力とは云え「視力1.2」をゲットするのは、人生初だと思いますw

 結論です。「視力が良い」ということは、「遠くが見える」では無くって「小さいものが見分けられる」ということだったんですね。また1つ勉強になりました。

2017年7月29日土曜日

CTを撮ってきました。

 半年に一度のCT撮影の日でした。大腸カメラと比べると大したことは無いのですが、造影剤を入れるので、家族の承諾書を出さなくてはなりません。
 大腸ガンは、腹膜、肺、肝臓のあたりに転移することが多いとのことですから、CTも肺から骨盤までを撮影するようです。

 結果は一週間後、大きな病院なので、何をするにも時間がかかります。

 実は、少し前から、下腹部に違和感があって、すっとイヤな予感がしていたんです。でも、結果は異常なしでした。
 何だったんでしょうね。単なる筋肉痛か、手術の跡が痛んでいたのか、よく分かりません。心配ならカメラをやりましょうかって云ってくれたんですけど、やめときました。12月になればどっちみちやりますからね。

 で、半年先のことですけど、大腸カメラの予約をいれました。12月25日です。直腸癌の手術をした日と同じです。
 ってことは。クリスマス・イブの日に、検査食を食べているってことですよね。まあ、今さらどうでもいいことですけど・・・・。

2017年7月2日日曜日

小林麻央さん

 先日、お亡くなりになられた、小林麻央さんの闘病ブログ「KOKORO.」は、海外にも知られ、多い日には、1億ページビューを数えたそうです。麻央さんのブログでの最期の記事は「オレンジジュース」、最後の言葉が、「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように。」でした。

 幼い子どもを残して、人生を閉じなければならない母親の無念はどれほどのものか、想像すらできません。

 彼女のブログから影響を受けた方も多いと思います。そちらに関する話題については、僕は何かを云えるような者ではありません。かと云って、闘病ブログの端くれとして、スルーするのも失礼かと思い、感じたことを書かせていただくことにしました。
 同じ闘病ブログと云っても、僕の最新記事は、「尿取りパット」ですし、最後の言葉は「いきんだら人工肛門」ですから、麻央さんのブログとは、天地の違いがありますけど。

 ネット情報によると、人間ドックで異変が見つかったのが3年前。その時は、良性と診察されて、念のために6(3)ヶ月後に再検査を勧められたそうです。で、8ヶ月後に再検査を受けて、ステージⅢの診断が出ます。標準的な治療法は、抗ガン剤と手術でしたが、温存を希望したため放射線治療(あるいは民間療法)を受けることになったそうです。
 その後、他臓器への転移が見つかり、ステージⅣの診断が出て、余命宣告があって、延命治療に切り替わります。この時に転院が行われ、マスコミの知るところになり、病気を公表、ブログの開設となっていったとのことです。

 まあ、ネットの記事ですから、どこまでが真実か分かりませんけど、矛盾点は無いように思います。

 僕もそうでしたけど、後になってみれば、あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったってことが多々あります。
 もちろん、良性の腫瘍が癌化することは珍しくありませんから、誤診とは云えませんし、忙しい身であれば受診が遅れることも仕方ありません。麻央さんは、まだお若かかったし、人前に出ることも多いでしょうから、温存を希望するのも当然かと思います。また、乳がんの抗ガン剤は、副反応として、髪の毛が抜けたりしますので、治療費がかかっても放射線治療で、となるのも分かります。
 しかし、麻央さんが一般人であったなら、もう少し違う展開になったように思えてなりません。

 ネットでは、海老蔵氏の再婚話がささやかれています。なんとも無礼な話ですが、有名であるということは、こういうことなんでしょう。長い間、病気を極秘にしていたのも当然のことです。
 そんな中で、麻央さんがブログの公開を始めたことは、大きな転換点だったと思います。ガンの闘病ブログは、掃いて捨てるほどありますが、顔写真を死ぬ数日前まで公開しつづけるブログなんて、見たことがありません。

 僕は、麻央さんは、最期までタレントとして生きたかったのだと思います。ブログの更新は、彼女の仕事であり、仕事は、家族と同様に、彼女の支えだったと思います。彼女は、タレントとしての自らの価値を利用し、公開し、ガンの闘病の実際や、自らの生き方を世間に伝えようとしたのだと思います。

 週刊誌では、彼女の治療等に関して、興味本位な記事が掲載されています。本来ならば、亡くなった人をそっとしてあげるのが礼儀なのでしょうが、彼女がブログを公開して、世間の注目を浴びることを決断した時点で、これらのことは、織り込み済みのはずです。逆に、スルーしてしまったら、公開した意味がなくなってしまうように思えるのです。

 比較的早期に発見できたのにもかかわらず、何故死んでしまったのか。治療は適切だったのか。緩和ケアのありかた。そして、末期癌の人間がどうなっていくのか。彼女から学べることは多いと思います。

 例えそれが、単なる興味本位だとしても。

2017年6月18日日曜日

尿取りパット(お食事前後の方は閲覧注意です)

 僕が受けた手術は、直腸癌の腹腔鏡手術です。直腸を切って繋いだので、手術直後は、絶食でした。ですから、消化器の中には、食べ物は入ってないのですが、出血とか老廃物などが出ますので、排泄物はあるんだそうです。つまり、人間というのは、何も食べていなくても、ウンコは出るということです。
 そういうものが、直腸に溜まっていると、手術で繋いだ部分に良くありませんから、肛門に管を入れて、溜まらないようにしていました。つまり、お腹の中のモノは、ノンストップで体外に出るようになっていたわけです。で、それを受け止めるために、女性用の特大尿取りパットを着けさせられていました。

 手術直後は、たいしたことは無かったんですけど、水分を取り始めたり、大腸の活動が復活してくるにつれて、お尻も汚れるようになりました。「何か出てるな」って感覚はあるんですけど、悲しいことに、自分では止めることができません。
 定期的に、看護師さんに拭いてもらうしかありません。赤ちゃんと同じです。病棟の看護師さんは、男も女も若い人が多いのですが、仕方ありません。もっとも、入院していると羞恥心などというものは消えてしまいますけど。
 若い男の看護師さんに拭いてもらったときに、「申し訳ない」みたいなことを云ったら、「腸がちゃんと仕事をしている証拠ですから」「無ければ逆に問題です。」って云ってくれました。
 
 あるとき、大量に出てしまったみたいで、パットを通り超して、パンツから、パジャマまで汚してしまったんです。もう、家に持って帰って捨てるしかないと思っていたら、看護助手さんが、捨てるのも勿体ないからって言って、洗ってくれたんです。しばらくして、洗われて、漂白剤に漬けられてビニール袋に入ったパンツを持ってきてくれました。

 入院するときに、予め購入しておいた尿取りパットが無くなってしまい、ナースステーションに置いてあるものを使うようになりました。この場合、数を記録しておいて、後で、下の売店で買って返すことになっていました。

 すでに歩けるようになっていて、暇をもてあましていた僕は、点滴スタンドをガラガラ曳いて、売店に行き、女性用の尿取りパットを買いました。足りなくなると困るから、多めに買い込みました。それから、紙パンツも買いました。これだったら、汚れても捨てれば良いわけですから。
 ナースステーションに寄って、借りていたパットを返して、残りをベッド横の棚にキープしました。これでひと安心です。

 次の日の朝、主治医の先生がやってきて、「今日、何日目でしたっけ。」って指折り数えて、「管、取ってしまいましょう。」って言いました。しばらくして、若い先生が来て、管を取り外してくれました。ハサミで糸を切っている音がしましたから、管は肛門に縫い付けてあったみたいです。「トイレで、いきまないでくださいね。傷口が外れたら、緊急手術で、次は人工肛門ですから」って脅されました。

 僕は、晴れて、自分の意思で、ウンコができるようになりました。「いきんだら人工肛門」というプレッシャーは、かなりのモノでしたけど。



 で、この尿取りパットどうしましょう。

2017年5月24日水曜日

アカヒレの死

小さな水槽で「アカヒレ」を飼い始めて1年近くになります。
本当に小さな水槽なので、エアーも濾過器もつけていないんですが、
水が合っていたようで、買ってきた5匹のアカヒレは元気に泳いでいました。

3ヶ月程たった時に、そのうちの1匹が痩せ始めました。
他のアカヒレからも追いかけ回されるようになり、
水草の影に隠れていることが多くなりました。
ますます痩せていって、元気がなくなっていきました。
やがて、餌も食べられず、逃げる気力も無くなってしまいました。
明日にも死んでしまいそうでした。
朝になる度に、死んでいるだろうかと、水槽を眺める日が続きました。

ところが、アカヒレは、なかなか死にませんでした。
痩せ衰え、呼吸も絶え絶えなのに、死にませんでした。
魚とは云え、同じ脊椎動物ですから、アカヒレの辛さは伝わってきます。
死んでしまったほうがどれほど楽だろうかと思います。
でも、アカヒレは、水草の影で生きていました。
ただ、死ぬためだけに生きていました。
僕は、毎朝、水槽を眺めては確認するのが日課になりましたが、
それは、アカヒレが死ぬのを待っているようなものでした。

1ヶ月後、アカヒレは死にました。
明日は死ぬだろうと思われながら、1ヶ月の間、生きていました。

生き物は、そう簡単に死ねるものでは無いようです。