2017年12月26日火曜日

術後2年目の検診でした

 早いもので、手術から2年経ちました。で、昨日が大腸の内視鏡検査。今日がCTでした。

 クリスマス・イブは、検査食を食べながら、暗い気持ちで過ごしていました。
 クリスマスは、やはり暗い気持ちで「モビプレップ」を飲んでいました。今年も、1.2Lまで飲んだところでギブアップです。

 内視鏡が始まって、僕がモニターを上目遣いで見ていたものだから、技師さんが気を利かせて、モニターを見られるようにしてくれました。そしたら、ポリープがあるじゃありませんか。メジャーで測ったら15mmもありました。
 ワイヤーでつまんで取ってくれたんですけど、自分のポリープが取られるところなんて、絶対見るもんじゃありませんね。貧血を起こしてしまいました。

 お医者さんのお話では、検査結果が出ないと分からないけど、悪性には見えないそうです。
 そう言われてみると、2年前に癌の写真を見せてもらったときは、いかにも悪そうな人相でした。良性か悪性かって、なんだか、素人目にも分かるような気がします。

 とりあえず、CTや腫瘍マーカーの結果は良好なんで、大丈夫だとは思いますけど・・・。

 それから、ポリープを取ったんで、この一週間は、温和しく過ごすことになりました。

2017年12月8日金曜日

話題のヒルドイドを6ヶ月間使い続けてみました

 ヒルドイドは、大阪に本社を置く「マルホ」が製造販売する血行促進剤・皮膚保湿剤です。
 僕がやっていた抗がん剤は、手先や足先が痛む「手足症候群」という副反応がありましたから、毎日、朝夕2回、手と足に「ヒルドイド」を塗るように云われていました。3週間で使う量は5本です。使い切らない時もありましたから、もらう量を減らすなどして調整していました。
 おかげさまで、深刻な副反応に悩まされること無く治療を終えることができました。


 僕はアトピー体質で、手が荒れることが多く、皮膚科でも薬をもらっていたんですけど、ヒルドイドを塗っていた間は、アトピーが治まっていました。でも、ヒルドイドがアトピーを抑える効果があるなんて、単純には云えないと思います。僕が抗がん剤をやっていた時は、職場でもいろいろと配慮していくれてて、あまりストレスがかかっていない時期だったからです。ストレスから解放されていたのが改善の理由かもしれませんから。
 
 でも、確実に云えることがあります。僕は、当時、足の裏に「ウオの目」があったんですけど、しつこくヒルドイドを塗り続けていたところ、だんだん柔らかくなっていって、跡形も無く治ってしまったんですよ。ヒルドイドは、「ウオの目」の治療に効果があるというのは、紛れもない事実ですw
 
 そんなヒルドイドですけど、最近、美容目的で顔などに使うことが問題になっているみたいです。医薬品ですから、手に入れるためには、適当な理屈を付けて、医師からの処方箋を手に入れる必要があります。薬局で購入すると医療保険が適用されていますから、定価の3割で買うことが出来ます。子供の医療費が無料な場合、それを悪用して、母親がヒルドイドを無料で手に入れるなんてことも起きているそうです。美容目的に使う薬に税金が使われるのですから問題です。転売して利益を得ようなんて輩も出てくるかもしれません。
 
 実は、ヒルドイドの美容効果は、一般の化粧品以下と云われています。化粧品が高価なのは、それなりの理由があるはずで、無料で手に入るような薬が、化粧品より優れているなんて有り得ないことは、少し考えればわかることです。

 まあ、僕の足先は、半年間塗り続けたおかげで、しっとりツルツルになりましたけどw

2017年10月16日月曜日

3ヶ月に1度の血液検査とティータイム

 完全予約制ですから、それほど待たされることもないのですが、今日は、僕の前に5組ほどいました。皆さん年配の方々で、家族が付き添っています。どの方も10分くらいかかるので、結局1時間くらい待つことになりました。文庫本も持ってたんですけど、何となく読む気になれなくって、ぼけーっと過ごしていました。
 僕はと云うと、検査結果の紙を一枚もらうだけなんで、1分もかからずお終いです。でも、早く済むと云うことは、深刻な状況では無いということですから、有り難いことです。

 血液検査から、診察までの待ち時間、久しぶりに最上階のレストランに行きました。ケーキセットで優雅なひとときを過ごさせていただきました。
 レストランへの足が遠のいていたのは理由がありました。抗がん剤治療を受け始めていた頃までは、病院に行くと必ずってくらい、レストラン(といっても注文するのは、オムライスとかですけど)で昼飯を食べていました。ところが、3回目くらいの治療の頃から、レストランに行くことと、抗がん剤で気分が悪くなることがリンクしてしまったんです。レストランのことを思い浮かべるだけで、気分が悪くなるようになってしまいました。それからというもの、抗がん剤の点滴を受ける前の昼食は、ミニストップのおにぎりを食べるようになりました。不思議なもので、濃いめの味付けをしたおにぎりなら大丈夫だったんです。
 抗がん剤治療が終わってからも、レストランに行く気にはなれなくって、同じ最上階にある喫茶室で時間を潰すことが多くなりました。

 今回は、血液検査が3時からで、診察が4時からだったので、喫茶室は閉店していました。そんな時は、ミニストップでコーヒーを買ってラウンジに行くことが多かったんですけど、久しぶりにレストランに行こうかなって気分になったんですよね。で、行ってしまえば何てことは無くって、普通に過ごせました。これで、トラウマを1つ克服したってことでしょうかw
 
 次回は、内視鏡検査です。検査が終わったら、ここで何を食べましょうか。

2017年9月9日土曜日

五十肩だったのかもしれない。

 以前から違和感はあったんですけど、ついに五十肩になってしまいました。左腕が痛くって上がりません。

 五十肩。
 
 昔は四十肩と言われることが多かったように思います。最近は、50代になってから発症する人が多くなっているようで、五十肩という言い方の方が一般的になってきました。生活が改善されて、老化が遅くなっているのでしょうか。このままだと、六十肩なんていう時代も来るように思いますが、60代になってから、痛みが出てくるようだと、完全に他の病気を疑うべきだそうです。

 それから、僕は、左利きで、左肩が痛くなりましたけど、必ずしも利き腕がなるというものでもないそうです。片方ずつ、時間差でなることはあっても、両肩が同時になることは無いとも云われています。

 四十肩の記述は、江戸時代の書物にも出てくるそうで、極めて一般的な症状の1つですが、にもかかわらず、発症の詳しい原因などは、分からないことも多いようです。
 正確に云うと、原因が分かっているものは、正式な病名が付きますので、五十肩とは、よく分からないけど具合が悪いと云う時の「風邪」みたいなもの、ということになります。
 外国語には、これに相当する言葉は無いそうで、年をとれば肩が痛くなるのは当たり前。「肩が痛い」だけのことを、言い表す言葉など必要だとは思わなかったのでしょう。

 広く言われていることは、「そのうち治る」ってことですね。整体に行ったりした結果、かえってこじらせてしまったなんて云う話もよく聞きます。
 しかし、「ほっとけば良い」なんて気軽に言われているにしては、かなり辛いです。

 一番つらいのは、横になって寝ているときです。枕を使うと、角度的に悪いみたいで、痛くてたまりません。市販の痛み止めを飲んだりしましたけど、寝不足な晩が続きました。
 痛いほうの肩を上にして横向きに寝転がると若干楽になりましたが、下になった反対側の腕がシビれてくるという危険があります。
 変な話ですけど、おトイレに行ったとき(特に大きい方)困ります。まあ、反対の手で用事をすれば良いだけの話なんですけど、長年使い慣れた左を使えないというのは、結構なストレスになります。

 初音ミクのライブでは、昼の公演に備えて、11時頃に、調剤薬局で直接買ってきたロキソニンを飲みました。それから、夕の公演の前、16時頃にもう1回飲みましたよ。
 そういえば、昨年3月の名古屋ライブは、抗がん剤の服用中でした。「初音ミクのライブにここまで懸けている俺って格好いい!」って、こういうのは「厨二病」ですね。

 ところが、
 
 こんな記事を書いている間に、いつの間にか治ってしまいました。

 随分呆気ないように思います。腕も今まで通り上げることができますし、これって、ただの筋肉痛だったんでしょうか。五十肩は同じ側には再発しないと云われていますから、これで、もし再発したら、ただの筋肉痛でお騒がせだったということになります。

 まあ、よく分からないから五十肩なんですよね。便利な言葉です。周りの人に説明するのも簡単だったし。詳しい原因も分からなければ、根本的な治療法も無いというのも、こういうことだったのでしょう。

2017年8月21日月曜日

視力検査の不思議 ~中近両用眼鏡で視力1.2をゲットしたこと~

 毎年行っている人間ドックです。けっこう大きな病院です。ここだけの話、近所での評判はイマイチです。でも、診察や入院するわけじゃないし、近いし、安いし、空いているんで毎年お願いしています。
 2年前の今頃、ここの病院で大腸に異常を見つけてもらって、癌とのお付き合いが始まりました。精密検査を勧められたんですけど、別の病院に行ったので、裏切ったみたいになっちゃって「ちょっとわるかったかなあ」とは、思ってます。

  人間ドックといえば、一番の難関は胃カメラです。僕は喉の奥が敏感な方なので、何回やっても上手になりません。
 それから、エコーでお腹の中を見てもらったりもします。すると、「脂肪肝ですから気をつけてください」とか「ちょっとポリープありますけど、まあ大丈夫でしょう」とか「少し肥大しているようですから、様子を見ましょう」とかイエローカードの連発です。

 で、検査項目の中に、視力検査があります。僕は、子どもの頃からの近視で、裸眼だと0.1くらいです。ホントは0.1も良く見えないんですけど、あとが面倒なので、見えたことにしてしまいます。
 人間ドックは、ちょいちょい待ち時間がありますから、いつも文庫本を持っていきます。この日は中近両用眼鏡をかけていました。遠近両用と違って車の運転は厳しいんですけど、ちょうど1m位のところにピントがバッチリ合うんで、パソコンをやったり本を読んだりするにはちょうど良い眼鏡です。
 それをかけて視力を測ったら、すごく良く見えるんですよ。1.2なんて余裕です。でもおかしいですよね。この眼鏡は中近両用なんで、3mくらい離れるとボケちゃうんですよ。

                             
 視力検査は、5m離れたところで約1.5mmの切れ目を見分けられれば、1.0となります。もし3mmしか見分けられなければ0.5だそうです。
 ところが、ここの視力測定器は、のぞき込むタイプなんで、測定版は目から50cmくらい先にあります。その分、ランドルト環は小さくなっているのでしょうけど、ちょうどこの眼鏡でピントがばっちり合う距離ですから、どんな小さい字でも読めます。
 視力検査って、遠くの物は小さく見えるから、小さい物が見えるのと遠くが見えるのは同じということでしょうけど、矯正視力の場合は、その理屈が通用しないのかなって思ったんです。
 僕の眼鏡は1mくらいのところにピントが合ってますから、1m先の物はどんなに小さくても見えますけど、5m離れると大きな物でもボケてしまいます。それで、視力1.2ってことで良いんでしょうか。

 でも、矯正視力とは云え「視力1.2」をゲットするのは、人生初だと思いますw

 結論です。「視力が良い」ということは、「遠くが見える」では無くって「小さいものが見分けられる」ということだったんですね。また1つ勉強になりました。

2017年7月29日土曜日

CTを撮ってきました。

 半年に一度のCT撮影の日でした。大腸カメラと比べると大したことは無いのですが、造影剤を入れるので、家族の承諾書を出さなくてはなりません。
 大腸ガンは、腹膜、肺、肝臓のあたりに転移することが多いとのことですから、CTも肺から骨盤までを撮影するようです。

 結果は一週間後、大きな病院なので、何をするにも時間がかかります。

 実は、少し前から、下腹部に違和感があって、すっとイヤな予感がしていたんです。でも、結果は異常なしでした。
 何だったんでしょうね。単なる筋肉痛か、手術の跡が痛んでいたのか、よく分かりません。心配ならカメラをやりましょうかって云ってくれたんですけど、やめときました。12月になればどっちみちやりますからね。

 で、半年先のことですけど、大腸カメラの予約をいれました。12月25日です。直腸癌の手術をした日と同じです。
 ってことは。クリスマス・イブの日に、検査食を食べているってことですよね。まあ、今さらどうでもいいことですけど・・・・。

2017年7月2日日曜日

小林麻央さん

 先日、お亡くなりになられた、小林麻央さんの闘病ブログ「KOKORO.」は、海外にも知られ、多い日には、1億ページビューを数えたそうです。麻央さんのブログでの最期の記事は「オレンジジュース」、最後の言葉が、「皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように。」でした。

 幼い子どもを残して、人生を閉じなければならない母親の無念はどれほどのものか、想像すらできません。

 彼女のブログから影響を受けた方も多いと思います。そちらに関する話題については、僕は何かを云えるような者ではありません。かと云って、闘病ブログの端くれとして、スルーするのも失礼かと思い、感じたことを書かせていただくことにしました。
 同じ闘病ブログと云っても、僕の最新記事は、「尿取りパット」ですし、最後の言葉は「いきんだら人工肛門」ですから、麻央さんのブログとは、天地の違いがありますけど。

 ネット情報によると、人間ドックで異変が見つかったのが3年前。その時は、良性と診察されて、念のために6(3)ヶ月後に再検査を勧められたそうです。で、8ヶ月後に再検査を受けて、ステージⅢの診断が出ます。標準的な治療法は、抗ガン剤と手術でしたが、温存を希望したため放射線治療(あるいは民間療法)を受けることになったそうです。
 その後、他臓器への転移が見つかり、ステージⅣの診断が出て、余命宣告があって、延命治療に切り替わります。この時に転院が行われ、マスコミの知るところになり、病気を公表、ブログの開設となっていったとのことです。

 まあ、ネットの記事ですから、どこまでが真実か分かりませんけど、矛盾点は無いように思います。

 僕もそうでしたけど、後になってみれば、あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったってことが多々あります。
 もちろん、良性の腫瘍が癌化することは珍しくありませんから、誤診とは云えませんし、忙しい身であれば受診が遅れることも仕方ありません。麻央さんは、まだお若かかったし、人前に出ることも多いでしょうから、温存を希望するのも当然かと思います。また、乳がんの抗ガン剤は、副反応として、髪の毛が抜けたりしますので、治療費がかかっても放射線治療で、となるのも分かります。
 しかし、麻央さんが一般人であったなら、もう少し違う展開になったように思えてなりません。

 ネットでは、海老蔵氏の再婚話がささやかれています。なんとも無礼な話ですが、有名であるということは、こういうことなんでしょう。長い間、病気を極秘にしていたのも当然のことです。
 そんな中で、麻央さんがブログの公開を始めたことは、大きな転換点だったと思います。ガンの闘病ブログは、掃いて捨てるほどありますが、顔写真を死ぬ数日前まで公開しつづけるブログなんて、見たことがありません。

 僕は、麻央さんは、最期までタレントとして生きたかったのだと思います。ブログの更新は、彼女の仕事であり、仕事は、家族と同様に、彼女の支えだったと思います。彼女は、タレントとしての自らの価値を利用し、公開し、ガンの闘病の実際や、自らの生き方を世間に伝えようとしたのだと思います。

 週刊誌では、彼女の治療等に関して、興味本位な記事が掲載されています。本来ならば、亡くなった人をそっとしてあげるのが礼儀なのでしょうが、彼女がブログを公開して、世間の注目を浴びることを決断した時点で、これらのことは、織り込み済みのはずです。逆に、スルーしてしまったら、公開した意味がなくなってしまうように思えるのです。

 比較的早期に発見できたのにもかかわらず、何故死んでしまったのか。治療は適切だったのか。緩和ケアのありかた。そして、末期癌の人間がどうなっていくのか。彼女から学べることは多いと思います。

 例えそれが、単なる興味本位だとしても。

2017年6月18日日曜日

尿取りパット(お食事前後の方は閲覧注意です)

 僕が受けた手術は、直腸癌の腹腔鏡手術です。直腸を切って繋いだので、手術直後は、絶食でした。ですから、消化器の中には、食べ物は入ってないのですが、出血とか老廃物などが出ますので、排泄物はあるんだそうです。つまり、人間というのは、何も食べていなくても、ウンコは出るということです。
 そういうものが、直腸に溜まっていると、手術で繋いだ部分に良くありませんから、肛門に管を入れて、溜まらないようにしていました。つまり、お腹の中のモノは、ノンストップで体外に出るようになっていたわけです。で、それを受け止めるために、女性用の特大尿取りパットを着けさせられていました。

 手術直後は、たいしたことは無かったんですけど、水分を取り始めたり、大腸の活動が復活してくるにつれて、お尻も汚れるようになりました。「何か出てるな」って感覚はあるんですけど、悲しいことに、自分では止めることができません。
 定期的に、看護師さんに拭いてもらうしかありません。赤ちゃんと同じです。病棟の看護師さんは、男も女も若い人が多いのですが、仕方ありません。もっとも、入院していると羞恥心などというものは消えてしまいますけど。
 若い男の看護師さんに拭いてもらったときに、「申し訳ない」みたいなことを云ったら、「腸がちゃんと仕事をしている証拠ですから」「無ければ逆に問題です。」って云ってくれました。
 
 あるとき、大量に出てしまったみたいで、パットを通り超して、パンツから、パジャマまで汚してしまったんです。もう、家に持って帰って捨てるしかないと思っていたら、看護助手さんが、捨てるのも勿体ないからって言って、洗ってくれたんです。しばらくして、洗われて、漂白剤に漬けられてビニール袋に入ったパンツを持ってきてくれました。

 入院するときに、予め購入しておいた尿取りパットが無くなってしまい、ナースステーションに置いてあるものを使うようになりました。この場合、数を記録しておいて、後で、下の売店で買って返すことになっていました。

 すでに歩けるようになっていて、暇をもてあましていた僕は、点滴スタンドをガラガラ曳いて、売店に行き、女性用の尿取りパットを買いました。足りなくなると困るから、多めに買い込みました。それから、紙パンツも買いました。これだったら、汚れても捨てれば良いわけですから。
 ナースステーションに寄って、借りていたパットを返して、残りをベッド横の棚にキープしました。これでひと安心です。

 次の日の朝、主治医の先生がやってきて、「今日、何日目でしたっけ。」って指折り数えて、「管、取ってしまいましょう。」って言いました。しばらくして、若い先生が来て、管を取り外してくれました。ハサミで糸を切っている音がしましたから、管は肛門に縫い付けてあったみたいです。「トイレで、いきまないでくださいね。傷口が外れたら、緊急手術で、次は人工肛門ですから」って脅されました。

 僕は、晴れて、自分の意思で、ウンコができるようになりました。「いきんだら人工肛門」というプレッシャーは、かなりのモノでしたけど。



 で、この尿取りパットどうしましょう。

2017年5月24日水曜日

アカヒレの死

小さな水槽で「アカヒレ」を飼い始めて1年近くになります。
本当に小さな水槽なので、エアーも濾過器もつけていないんですが、
水が合っていたようで、買ってきた5匹のアカヒレは元気に泳いでいました。

3ヶ月程たった時に、そのうちの1匹が痩せ始めました。
他のアカヒレからも追いかけ回されるようになり、
水草の影に隠れていることが多くなりました。
ますます痩せていって、元気がなくなっていきました。
やがて、餌も食べられず、逃げる気力も無くなってしまいました。
明日にも死んでしまいそうでした。
朝になる度に、死んでいるだろうかと、水槽を眺める日が続きました。

ところが、アカヒレは、なかなか死にませんでした。
痩せ衰え、呼吸も絶え絶えなのに、死にませんでした。
魚とは云え、同じ脊椎動物ですから、アカヒレの辛さは伝わってきます。
死んでしまったほうがどれほど楽だろうかと思います。
でも、アカヒレは、水草の影で生きていました。
ただ、死ぬためだけに生きていました。
僕は、毎朝、水槽を眺めては確認するのが日課になりましたが、
それは、アカヒレが死ぬのを待っているようなものでした。

1ヶ月後、アカヒレは死にました。
明日は死ぬだろうと思われながら、1ヶ月の間、生きていました。

生き物は、そう簡単に死ねるものでは無いようです。

2017年4月23日日曜日

リスキーなバカンス

 寝ていたら、夜中に突然、足が痙りました。

 三日ほど続いた後、治まったんですけど、どうやら、抗ガン剤の副反応が、ぶり返しているようです。あの頃は、手足が痙ったり、強張ったりとか、よくありましたから。他にも、足の裏に痺れと違和感が出てきたり、爪も少し痛んできました。抗ガン剤を終了して8ヶ月が過ぎ、副反応のことなど忘れていたところでした。
 
 副反応については、人によっては、何年も悩まされるということですし、ぶり返したと云っても、大した症状ではないので問題ないんですけどね。

 まあ、心当たりがあるとすれば、ストレスでしょうか。日本中どこでも同じかと思いますけど、何だかんだ云っても、新年度っていうのは忙しいですからね。癌の治療中は、仕事についてもいろいろと配慮してもらってましたが、いつまでも甘えているわけにはいきませんし、4月から配置換えになって、毎日毎日、慌ただしかったことも関係あるかも知れません。

 同じ職場に、以前、癌の治療のために休みをとっていた方がいます。その方の話によると、癌治療のために長期休暇に入ったとたん、長年悩まされていた、偏頭痛がピタリと治まったそうで、職場復帰したら、再び頭痛が始まったとのことでした。
 僕も、思い出してみると、癌で入院していたときの方が、仕事しているよりも楽だったように思いますw

 よく、「そんなことばかりしていると、体に良くないから癌になるよ」なんて云いますけど、体に一番良くないことって仕事じゃないのかなって思います。ストレスは万病の元って言いますから、「そんなに仕事ばかりしていると癌になるよ」ってのが正しい使い方かもしれません。

 先日、ニュースで、「日本人の2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死亡する」って言ってました。癌になることは、珍しくも何ともない時代になりました。昔は、いろいろと他の原因で死んだんで、癌になるまで生きられない人が多かったってことだと思います。

 生物が進化するためには、世代交代が不可欠で、いつまでも生きていられたら困るわけです。例えば、「ゾウリムシ」は細胞分裂で増えたり減ったりしてますから寿命というものがありません。ですから、永遠の命を持っているって云えるんですけど、その代償として、何億年経っても「ゾウリムシ」のままなんです。

 癌っていうのは、いつか必ず死ぬようにって、神様が作った仕組みですから、長寿社会になればなるほど、癌に罹る人が多くなるのは当然のことと云えます。

 とは言っても、まだ年金も貰ってないのに死にたくありませんからね。人間ってのは、神の真理に逆らう唯一の存在。癌になれば治療に通うことになります。
 
 で、2分の1-3分の1ってことで、「6分の1」。

 このニュースの正しい読み方は、「日本人の3分の1も癌で死んでいる」ってことじゃなくって、「日本人の6分の1は、癌になっても癌で死なない」ってことで、さらに、割合的に考えると、「癌患者の3分の1は癌で死んでない」ってのが正しい読み方になります。
 さらに、今、癌で死んでいる人は、昔に癌に罹った人たちですから、今、癌に罹った人が、これから癌で死ぬ率はもっと低くなるはずです。

 ひねくれた言い方になりますけど、働き過ぎで過労死したり、精神を病んで自殺したりってニュースを聞くと、だったら、癌になって病院でのんびり治療した方が、幸せじゃないかって思うときがあります。
 癌は神様がくれた、少々リスキーなバカンス。

 とはいえ、健康が第一。バカンスの強制取得ってことにならないよう、ご自愛下さい。

2017年3月28日火曜日

3ヶ月に一度の血液検査でした。

 まず、検査室に行って、血液を採取します。
 いつも通りの3本です。

 僕の前に20人ほど待っていましたが、5~7つのブースがフル回転しているので、10分くらいで順番がきました。いつもながら、検査技師さんの手際の良さに感心してしまいます。世の中には、いろいろなプロがいますけど、注射針を刺すプロというのもいるんです。

 前回は、検査から診察までの時間が短く、結果が未だ出ていなくて、30分くらい待つことになってしまいました。ですから、今回は、キモチ早めに行ったんですけど、そのまま、大腸外科の受付をするには、いくらなんでも早いかなって思ったんで、最上階の喫茶店で、午前中から「おやつタイム」をしていました。
 病院は、たくさんの患者さんで混み合ってますが、ここは別世界です。病院の最上階で景色も素晴らしいし、クラッシック音楽が流れていて、30~40席あるスペースに僕一人。読みかけの文庫本を開きながら、ワッフル食べて、コーヒー飲んでました。
 ホットケーキもワッフルもケーキもアイスクリームも、自家製では無く、普通の仕入れ品ですけど、スタバよりもずっと安いですし、カウンターの向こうで切り盛りいているのが、食堂のおばちゃんぽいのもイイ感じです。
 一階のホールにも、カフェコーナーがあるし、ミニストップでコーヒー買って、ラウンジで飲むのも良いんですけど、この時間帯では、空いている椅子をさがすのも一苦労ですからね。
 こんな良いところがあるのに、何でみんな来ないんだろうって思うときもありますけど、癌の病院に来て、のんびりコーヒーを飲もうなんて考える方が少数派なんでしょう。

 なんてしていたら、呼び出し受信機がなりました。「大腸外科で受付をしてださい」ですって。「診察室にきてください」みたいなメッセージはありましたけど、「早く受付に来いっ!」ってのは初めてです。「検査をしてから1時間も、どこほっつき歩いてんだ」って、受信機に怒られてしまいました。
 
 次回の検査は、夕方に予約です。3ヶ月後は、薔薇も綺麗に咲いているでしょうから、午前中に予約を入れて、庭でコーヒー飲んで、半日のんびりしたいんですけど、僕にだって抜けられない仕事がありますからね。
 
 
 腫瘍マーカーの値は、正常でした。

2017年3月2日木曜日

夜の病棟と睡眠

 夜の病棟というのは、結構騒がしいものです。

 僕が入院してたところは、消灯が10時、起床は6時でした。ですから、睡眠時間は、一応8時間確保されていたことになります。

 それに比べて、今は5時間も寝ていないと思います。
 いつの頃からか、夕飯を食べると、眠たくなってしまうようになりました。聞いたところによると、食べたものを消化するのには、エネルギーが必要で、歳をとって体力がなくなってくると、起きていられなくなるんだそうです。
 で、そのまま、リビングで寝てしまいます。でも、誰も起こしてくれません。夜中の2時とかに寒さで目が覚めます。それから、風呂に入って・・・、なんてしているともう4時を過ぎてしまいます。それから、ベッドに入って、ちゃんと寝ます。でも6時には、起きます。トータルすれば5・6時間くらいは寝ているのかもしれませんけど、慢性的な睡眠不足状態になっています。結局、次の日も食事をすると起きていられなくなります。
 この負の連鎖をどこかで断ち切りたいのですが、もはや、それが生活習慣になっていて、逆に、食後に寝ない日があっても、何か変な感じで、そのままダラダラと2時頃まで起きてしまいます。それから風呂に入ったりするので、かえって睡眠時間が短くなってます。

 リビングで寝ていて、気づくと午前4時なんて時もあります。それからお風呂に入ると、寝るのは、5時半頃です。ベッドで30分しか眠れません。そんな日は寝るのをあきらめて、そのまま起きているってのも1つの方法ですけど、たとえ30分でもベッドに入った方が良いみたいです。
 30分ですから、ただ目をつむって横になってるだけですけど、ちゃんと、目覚ましをかけて鳴ったら起きるってことをします。そうすると精神的にリセットされるみたいで、一日を普通に始められます。
 まあ、そんな生活をしていたから、ガンになっちゃったのかもしれませんw

 で、入院中は、睡眠時間は確保されてましたけど、実際には、なかなか眠むれるものではありません。

 頻繁に鳴るナースコール。隣の個室のジイさんの呻き声。一晩に何度もトイレに行く人もいます。反対隣の病室のバアさんが、夜中に苦しいと言い出して、一晩中バタバタしているなんて時もありました。当直の検査技師さんが、移動式のレントゲン撮影機をガラガラ引っ張ってきたりして、まあ賑やかなものでした。

 でも、だからといって、どうっていうことなかったです。働いているわけじゃないので、寝れなくても、次の日に困ることなんてありませんからね。昼寝ならいくらでもできるし、人間、眠いときには、周りが騒がしくっても、寝ちゃいますから、かえって次の日がよく眠れたりしました。ですから、眠れる日と眠れない日が、一日おきに来ていましたような気がします。

 そういえば、看護師さんは、寝れないときは遠慮なく言ってくださいね、と云ってました。睡眠導入剤を出してくれるってことみたいです。

 今日は、食事の後に居眠りすることがなかったんですけど、ボケーっとしていたら、何となく思い立って、こんな記事を書いてしまいました。もう午前3時です。これからお風呂に入ります。

2017年2月12日日曜日

二次検査ビジネス もしくは・・・

 数年に一度の脳ドックに行きました。職場で半額負担してくれるのですが、それでもかなりの高額になります。やることは、脳をMRIで撮ることです。それだけですからあっという間に終わります。このあたりでは、最も大きい脳外科の病院で受けました。今回は、異常なしってことでしたけど、実を言うと、僕は、この検診に疑念を抱いてます。

 前回、僕は、要精密検査と言われました。脳の動脈に瘤があるというのです。そこで、造影剤を使っての精密検査を提案されました。
 もちろん、申し込みましたよ。脳に動脈瘤があるなんて言われて、平気でいられる人なんていません。破裂したら死んじゃうじゃないですか。

 精密検査は、健康保険が効きますけど、それでもかなりの高額診療でした。

 で、結果は異常なしでした。どうやら血管が曲がっていて、それが見る角度によって動脈瘤に見えたみたいです。「異常なしです。良かったですね。」って言われて、安心安心ですけど、あれって、思ったんです。

 だって、動脈瘤があるって言ったのは、そっちじゃないですか。で、無かったってことは、誤診ってことでしょ。だから言うべき言葉は「間違ってました。無用な心配を与えて、申し訳ありません。」だと思うんです。二次検査費を半額くらい返してもらっても良いくらいです。

 で、疑念というのは、この病院で脳ドックを受けた人が、ほぼ全員、一度ずつ同じことを言われているからなんです。血管の曲がりと動脈瘤の区別は難しいそうですけど、そんなに度々間違えるのは、明らかに変です。しかも、言われるのは一度だけ。逆に、もしも見分けにくいのなら、毎回言われても良いはずでしょ。
 もしかしたら、区別しにくいことを利用した二次検査ビジネスではないかと疑っているんです。

 でも、「動脈瘤だったら大変だから、念のために調べましょう」と言われれば、こちらは、従うしかありません。

 今回も言われたら、逆に聞き返してみようって構えていたんですけど・・・。

 「疑わしくは再検査」というのは、当然でしょうけど、「ちょっとコレステロールが高めです」なんて言われるのとはレベルが違いますからね。もしも、MRIとかCTの稼働率を上げるために、意図的に要二次検査にしているとすれば・・・、まさかですよね。人を不安に陥れて必要の無い検査を受けさせるなんて、年寄りを騙くらかして金を巻き上げる詐欺師と変わりありませんから。

 まあ、だったら受けなければいいだろう、ってことでしょうから、これ以上云うのは、やめにします。

 「医は仁術なり」って平安時代から云われていた言葉なんですって。昔の人は、上手いこと言ったものです。でも、逆に云えば、そう言わざるを得ないほど、昔から「医を算術」にしていた奴がいたってことなんでしょう。

 そこの病院のことではありませんよ。一般論です。

2017年1月25日水曜日

術後1年、検診の結果を聞いてきました

 おかげさまで、向こう3ヶ月、人生の契約更新をしていただきました。
 
 このブログも、まもなく1年になります。今のところ、再発も転移も無いので、嬉しいかぎりですが、だんだんと、書くことが・・・。まあ、闘病ブログが、ネタ切れになりつつあるというのは、何とも幸せなことではあります。

 診察に入ると、主治医の先生が何となくニコニコしていたんで、大丈夫だろうと思いながらも、結果を聞く瞬間は、やっぱり緊張します。ただ、せっかく、異常なしって言っていただいたのに、その後も淡々とお話を聞いてしまいましたんで、もっと喜ぶべきだったかな、なんて、診察室を出てから反省した次第です。

 術後一ヶ月の診察の時に、リンパ節に転移していると言われ、直腸癌・ステージⅢCの診断をもらいました。で、抗ガン剤の治療が始まった頃に、このブログを立ち上げて、1年が過ぎようとしています。
 ネットに数ある闘病ブログに刺激を受けてのことですけど、検索しますと闘病ブログって、ホントにたくさんあるんですよ。しかも、そのほとんどがガン患者のブログなんですよね。 
 おそらくこれは、ガンという病の特殊性が関係しているように思います。特に末期癌と診断されることは、人生の終着点を設定されたようなものですから、いやが応にも、残された時間をいかに生きようかって考えさせられます。末期癌で無い僕でさえ、柄にも無いことをいろいろと考えたくらいですから。
 まあ、このブログは、スタートからして、闘病ブログって感じではありませんけど、本来の闘病ブログって、人生を濃く生きようとしている人たちの自己表現の場なんだと思います。ですから、ブログのネタが、病気自慢になろうが、家族自慢になろうが、そんなのは、どうでも良いことなんですよね。
 
 しかし、考えてみれば、人生の終着点というのは、本来、全ての人に設定されているわけです。末期癌を宣告されるのって「いずれ死ぬ」と云うことでしょうけど、それって、誰にでも当てはまる、当たり前のことですよね。結局は、死を意識しているかしていないか、言い方を変えれば、生を実感しているかいないかという違いに過ぎません。

 僕は、このところ、自分が経過観察中の癌患者であることを忘れていることが多くなりました。そして、死を意識しなくなってきただけ、生きることの意味も考えなくなってきたように思います。
 でも、それって幸せなことなんだと思うんです。

 生きていることを実感することなく、毎日を過ごすことができるなんて、最高に楽ちんな、最高に贅沢な人生の送り方ですから。

2017年1月4日水曜日

内視鏡検査をしました

 手術後1年ということで、今日は、内視鏡検査でした。病院は、正月休み明けで、入院受付とかが、いつもより混んでいる感じでしたよ。

 昨日は、検査食の1日でした。大腸内視鏡は、人間ドッグなどでやられた方もいると思います。検査そのものは、麻酔もしますから、大したことないんですけど、受けるまでが大変なんですよね。

 検査食は、いつも病院の売店で買っています。自分でお粥とかを作ってもいいんですけど、面倒ですからね。で、2種類ありますけど、先生から指定がない限り、僕は「クリアスルー」ってやつにします。こっちの方が普通に食べられるし、量も多いんですよ。
 皆さん同じ考えみたいです。検査の事前説明の時に、看護師さんから「選べますけど、どっちが良いですか」って聞かれたんで、「こっちにします」って即答したら、「だよね~」みたいな感じで笑われました。
 とは言っても、間食もできないし、家族が夕飯を食べているときに、自分だけがレトルトを温めて食べていると、妙に惨めな気分になってしまいます。

 まあ、それくらいは良いとして、もっとツラいのは、朝から飲む、腸管洗浄液「モビプレップ」です。1Lまでは、がんばって飲んだんですけど、だんだん気分が悪くなってきて、あちらのほうも綺麗になったんで、1.2Lまで飲んだところで、ギブアップしました。これでも、前よりは良くなったそうで、昔の薬だときれいになるまでに2Lとか、場合によっては4Lも飲まされたそうです。
 今回は、モビプレップをある程度飲んでから、水を飲んだんですけど、それが悪かったみたいです。次は、ウィスキーのチェイサーみたいに、最初から水と交互に飲もうかなって思います。

 病院の内視鏡検査室って幾つもあるんですけど、僕が入った検査室は、9番の部屋でした。検査してくれたドクターは、ほんとに若くって、隣に先輩らしきお医者さんがついていて、時々指示を出していたんで、研修医さんみたいな感じです。お医者さんも看護師さんもみーんな若くって、大学のサークル部屋みたいな雰囲気でしたよ。でも、若い人たちって丁寧だし、一生懸命さが伝わってくるんで、良かったです。
 
 最後に、最上階にある喫茶店で、ホットケーキセットを食べてきました。ちゃんとした闘病ブログだったら、ここで写真をのせるんでしょうけど、スミマセンです。

 明日、CTを撮って、詳しい結果は、週明けに聞きに行きます。